(その1)
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昭和51年12月に私の結婚式の司会をやってくれる友人の家、 何と値段を見て驚いた、5万円と書いてあった此れは安いと思い早速、店主に声をかけるが、店主がボート免許持っていますか、私、持っていません 免許取ってから来な、 と相手にされず冷たい一言で、奮起する事となる。この時、私23歳 53年2月に結婚をしてから、翌年の54年7月14日念願の4級小型船舶操縦士の免許を取得する。 それから、ヤマハフィシュ12を買って江戸川を下って東京湾まで行って弟と、はぜ釣りに出かけた、25年たつた今でもこの12フィートのボートは、会社の裏に置いてある そうこうしているうちに泊まれて遠く迄行ける船が欲しくなる、色々調べているうちに、小さいヨットでもキャビンは結構広いし、太平洋を渡れる、維持費がボートより安い、 釣りも出来る、弟と意見が一致、此処から兄弟ヨット遍歴が始まるのである。 |
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初代 SEASON 1
54年12月霞ヶ浦ヨットハーバーで中古45万円で購入。 ヤマハ17 センターボード 年式不明かなり朽ち果てていたヤマハ17でしたが、 横内 利一 25歳 持ち前のメインテナンス好きで兄弟二人で力を合わせ 横内 久郎 20歳 半年かけて新艇同様になるまでしつこくレストアした。 1979年 主に内装シート縫製関係は、弟が担当 木部は兄が担当 ハル、デッキ、船底、は共同で作業する。 晴れて進水式は、那珂湊港で二人だけで進水式をやる、 係留は涸沼川、郡司釣り宿店にお世話になる。 係留費は、盆暮れの付け届けでよかった。 ヤマハ17は半年間 大事に乗った 遠出は、日立港が 一番遠い所で、大洗港は、お盆のクルージングで 二泊で恐る恐る行ったのが今では懐かしい思い出です。 教訓、この、ヨットでは太平洋横断どころか、銚子すら 行けないことが分かった。 太平洋は、簡単に渡れない。 |
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二代目 SEASON 2 昭和55年11月 ヤマハ17孫取りで、千葉マリーナで ヤマハMS24モーターセーラー 購入、例によって 今度は 横内 利一 26歳 製造ナンバー007番のMS24でこの船もかなりのご老体で、 横内 久朗 21歳 綺麗になるまで内外を磨き、千葉マリーナの社長から、 1980年 買い戻させてとまで言われた位磨いた 当時でもかなり安く買えた船でした。 24フィートでキャビン内は広く人が立てて快適で ただ、名のごとく モーターセーラーですから 帆走は ヤマハJOGより遅く機帆走でやっと追いついていける 代物で、約1年半乗って乗り換えになる この船の思い出は、YA-8のヤンマーのエンジンで バルブが壊れて交換までは、よかったけれど 調子に乗ってピストンリングまで交換しょうと、クランクシャフト まではずしリング交換し組み立てでコンロットのメタルを はめ忘れて組み立てて結局エンジンを壊してしまい 余計、高いものになってしまった。 それと涸沼湖で、しじみ取りによく行った。 教訓、 勉強してからエンジンを触ること。 |
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三代目 SEASON 3 57年5月 ヤマハMS24を高値で孫取りしてもらった ブルーウォーター30 兄 横内 利一 28歳 購入。このヨットも年式不明でだいたい8年落ち位で 弟 横内 久郎 23歳 程度は、凄く良くハルのバウにキャプテンサンタの 1982年 顔の漫画が書かれていて、それを剥がしてくれる条件で 契約した、けれどマリーナの人から電話で この絵が中々 消えないので、無料でハルの全塗装しますので 何色がいいですかと、ラッキーな電話で 薄いブルー 水色より濃い色に決めた。 このヨットから、那珂湊マリーナに係留する。 憧れの30フィートのヨットでスビードが速く ダントツの 優勝と、思ったのも、つかの間で 地元の草ヨットレースで、ブビー賞を頂く。 丈夫で長持ちタイブのクルージングヨットであった。 この頃より、レーサー、クルーザー、用途を知る。 若き頃は、まだレースに目覚めてなく走ればよいと思って いたときで、のちに、レース心に火が付くのである。 YA-8の8馬力エンジンなので機走は遅かったので、 エンジンを、いすゞの27馬力のエンジンに乗せ買えて 機走競争なら負けないよと、強がっていたのが懐かしい 初めての新島、式根島、クルーズをした。 5年の間に3回の新島、式根島と 2回の勝浦と5回の 小名浜レースをして、航海術を磨いた。 この翌年、私の長女生まれる 58年 12月29日 舵誌の個人売買で前橋の人に売却 金沢八景に係留 している。 教訓、クルージングタイプでレースは勝てない。 |
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